GPTとonly one : C. モンテヴェルディ

明日のマンスリー・コンサートで、C.モンテヴェルディの名曲の一つである、通称セスティーナ(六行六連詩)、「愛する女の墓に流す恋人の涙」(Sestina: Lagrime d’Amante al Sepolcro dell’Amata)を演奏する1。天才が、一人のために全精力をかけると、時代も文化も超えてこんなに人の心を揺り動かすのか、と驚かされる。

昼間はChatGPTについて議論をしたが、その中で、ChatGPTは結局「尤度が高いもの」から答えを選んでいるので、たとえば、ある作家のような文章を最初に生み出すのは「尤度が低いもの」を選ぶ必要があり、その候補は山のようにあるから難しいのでは、という議論があった。そこから、2つの点で面白いなと気付かされたことがある。

1つは、AIが、少なくとも統計的な手法を使っている限りは、only oneの何かを生み出すことはずっと難しいということ。

2つめは、そもそも、AIは何かの価値基準に応じて決めなければならない。しかし、価値基準を据えること自体が場違いな場面が人間には多くある。まぁ、たしかに他の人と違うonly oneには価値がある。C.モンテヴェルディのセスティーナであれば…一人の前途ある人の死に際し、本気で哀しみながら、自分のもてる技を惜しげもなく注ぎ込まれて、生まれた。そこに価値がある…のは事実であると共に、「価値がある」という軸を据えること自体が場違いな、哀しい現実が厳然と存在する。

まあ、現代において、私のような感覚は古臭いのかもしれない。一方で、芸術の栄枯盛衰が繰り返されるのは少なくとも何百年は変わっていないので、古臭い私の感覚がまた新しくなるかも…グタグタになってきたので、そろそろ止める。明日はいい演奏に貢献したい。

脚注

  1. 明日の演奏会のページはこちらだが、このページは毎月変わり、明日以降、2023年中はこちらに、2024年になるとこちらの記録に情報が移る。

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カテゴリー:

AI, GPT, OCM, 音楽

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