8/26-9/4にシンガポールへ8泊10日で家族と行きました。4歳&1歳の小さな子どもを連れていくのは大変でしたが、今しかない経験ができました。子連れで旅行するリアルもですが、子連れの外国の旅行者をたくさん見ながら客観的に見たり、日本は安くて旅行先として人気という話を子ども分の出費から見つめ直す、とか。
その感じたことの1つとして、日本の教育を軸に少し書いてみます。
シンガポールでまず感じたのは多様性でした。聞こえる言葉も、目に入る人種も、掲示の言語も、多い。京都で多様な旅行者を見ると「外国人ばかりが見て聞こえて日本じゃないみたい」と私も感じてきましたが、シンガポールでは多様なのがむしろ普通。
むしろ多様性を目指したのがシンガポールで、建国時の経験は勿論、シンガポール島の発展自体、トーマス・ラッフルズが1820年に関税を廃して人や物のハブになった影響が強い。このため、国際的なハブとして国を最適化する方針は自然だったと思う。
このため、多様な人種や言語の人たちが等しく、教育を受けられ、共通の文化を享受し、最低限の衣食住と未来の成功の可能性を感じられるため、国を挙げての政治的、経済的、文化的な汗と涙の混じった努力があった。
などと言い切れるのはシンガポール国立博物館を見た経験が大きい。1960、70年代に学校制度や文化を作り上げる努力や、それに伴う世代間ギャップ(これは20、30年代にもあった)に関する展示は興味深かった。
そう考えると、2008年に1人1台のPC環境を小学校で実現したFutureSchoolはすごく自然に思える。人種・言語に関わらず平等にするには、それぞれに対応する**人学校をたくさん作るより、1つのクラス内でできた方がいい。1人1台あれば、多言語・多文化対応はしやすい。上記の展示を見ながら、FutureSchoolは、人づくりのためではあるけれど、多様性に対応した国家づくりという建国時からの流れとして自然であるし、国を作る上で必要不可欠な施策だったのではないかと感じた。
日本も、GIGAで入った端末を用い、外国人の対応や特別支援での可能性など多様性への模索が各地でされているが、シンガポールの場合は、多様性への対応のための重みが日本と違う気がした。
そう私に感じさせた別の要因は、街で見るシンガポール国旗の多さ。8/9に建国記念日があったからだろうけど、街のエリアは10くらいは回ったけど、どこでも旗を掲げた建物がズラリ。今も、建国のプロセスは進行中…まぁ、まだ60年程度しか経ってない若い国だから当然とも言える。
また別の要因として、博物館なり、動物園なり、地下鉄なり、工事現場なり、植物園なり、ホテルなり、いろんな場所で多様な人種が日本より楽しそうに働いているように見え、多様性と経済発展を両立させ、持続可能性を意識しながらうまく行ってるように見える。
一方、出稼ぎ労働者も多いようだし、仕事内容と人種の対応を感じてしまう場面も多かった。そういう話をシンガポールの大学に短期間滞在した学生に話したら、たとえばゴミ収集をする階層への、日本の感覚ではビックリするような差別意識に遭遇した話を教えてもらった。当然だが旅行するだけでは分からない事は多い。いずれにせよ、多様な人種・言語・文化を包摂する国づくりは、そう簡単には終わらない、というよりずっと続くのだろう。
いずれにせよ、改めて日本の教育について考えるいい機会だった。旅行は、強制的に別の視点を自分の中に刷り込めるいい機会だと思う…子どもの面倒は旅行中も変わらないので、一人旅と比べて、意識的に刷り込む必要はあるのだが。