後半では、主にGPTそのものについてふれながら、書いてみようと思う。前半に引き続き、以下、「教育」とは小学生・中学生・高校生を念頭に置いて記すので、ご注意ください。また、GPTという言葉はフワっとしたまま使ってます。すみません1。
GPTそのものについて
GPTはシンギュラリティの始まりでないか
AIが人間を超えることをシンギュラリティという言葉で表されるが、たいていは「技術的に」超えることを表すと思う。たぶん、技術的には、まだAIは人間を超えていない。
しかし、「AIが人間を超える」ことを現実のものとして捉え、多様な分野・立場の人(世界中の政府から、普通の人まで)が一斉に議論を始め、活用を始めた2点で、ある種のシンギュラリティは始まったように思う。人間社会は、本格的に「AIが人間を超える」ための準備を始め、「ナイフは、作った人に責任はない、使った人の責任だ。人工知能も同じだ。」という牧歌的な主張をできる時代は終わった。AIチャットボットに罵られたら、「使った人」は心理的苦痛を被った被害者だし、「作った人」の責任も問わざるをえないし、作っている側が、この技術を核兵器になぞらえてまで、どうすれば責任を負えるか真剣に考え始めている3。
GPTの実力は「世界中の文書を読み込んだ4歳児」くらいのイメージ?
GPTが嘘をついている、と感じる人もいるだろう。しかし、「嘘をつく」でなく「知っている言葉を組み合わせた言葉遊び」だと私は思う。実際、GPTで使われている言語モデルには、論理的思考にあたる仕組みは明示的には4含まれない。Attention5でゴリ押しである(たぶん…GPT-4の仕様が非公開6だし…)。
同じようなことをするのが(研究の裏付けはなく、経験上ではあるが)4歳児である。彼らは替え歌をして遊ぶ。敢えて「4月90日火曜日、天気くもり」とか言って遊ぶ。時に、大人が組み合わせないような複数の事から話を作り、「子供は頭が柔らかいよね〜」と大人を驚かせ、楽しませる。ただ、GPTは4歳児と違って驚異的な量の文書を、画像を、プログラムを読んで(教え込まされて?)いるので、語彙力や知識量が半端ない。ただ、本質的には4歳児の言葉遊びに近いのではないか。
さらに、GPTが4歳児より優れているのは、間違いを指摘されたら(たいてい)すぐに認め、改める事。
一方、4歳児がGPTより優位なのは、自然と学習のモデルを変えながら5歳児になる事。
4歳児を、5歳児、6歳児…と成長させる競争が始まっている
GPTの訓練を半年止めようという提案が出たとき、署名者は偉い人ばかりだけど、正直、筋が悪いと思った。そんなやり方では、善人ほど開発を止め、悪人ほど開発を続ける。案の上、何日か経って、ビル・ゲイツが反対意見を出した7という声や、周りを出し抜くために「訓練を止めよう」という意図もあるのではないかというちょっとやな感じ8が聞こえてきた。
開発に成功する人たちが善人であること、さらには人類全体のために考える余裕のある社会であることを願いたい。
日本はチャンス…という願望
衰退途上国日本にとっての新たな可能性?
chatGPTに対する世界中の反応を見ていると、日本よりむしろ欧米から「禁止」の声が聞こえるような気がしていた。理由を考えていたら、2017年頃の研究会で「AIは、日本では友達、欧米では召使」と聞いたのを思い出した9。ということは日本社会は正しくchatGPTを受け入れるのでは?と希望を感じはじめた。願望も入っているけど。
そうしたら、OpenAIのサム・アルトマンがやってきてトップセールスをした10。たしかにOpenAI側になって考えると、フレンドリーに受け入れてくれる市場はありがたい。もちろん、考慮すべき欧米と日本での違いとして、AIに学習できるデータの法的に許された範囲11や、市民社会の成り立ちの違いなど、他にも色々あるけれど。
では、AIフレンドリーな日本が、どのようにシンギュラリティに向き合っていくべきか。これは、怖いけど、ちょっとワクワクする。高齢化社会への移行などで世界の最先端を走るが、必要な変化をなかなかできない、などと衰退途上国のような暗い話もそこそこ多いが、日本は、AIについては「適切なAIとの付き合い方」の最先端を走っているような気がする。うまくいくためには、次世代の未来に直接アプローチする教育が肝の一つになるだろう。
GPTを用いた学びの目指すべきは?
前半で、本丸は「GPTを用いた学びを正しい学びに結びつけられるか、そのような教育の全体像が描けるか」と書いた。この問題については「正しい学び」「教育の全体像」について、少なくとも自己の被教育体験を相対化している人が議論すべきだろう。正直、教育学へ新参者の私の手には余る。
ただ、教育現場で教えている経験を踏まえ教育データ利活用について考えている人間として、私なりの結論を書くと、GPTのようなAIの活用に際しては、広い意味での「科学的態度」、言い換えると「後日検証可能性を残そうとする志向」を目的に据えるのがいいのでは、と思う。「AIがこう言ったから、こう回答した」だけでは、教育を受ける側としては、ダメ。そこから自分で考えるか、AIがなぜそう回答したかの検証が必須。前半で言及した批判的思考力は、この目的のための汎用的スキルの1つとして位置付ける。
そして、GPTの活用の模索は、日本では高校でも最近必修になった「探究」の時間と相性がいいと思う。この結論は、教育データ利活用に関して考えた結果だが、chatGPTと教育の関係においても、ある程度は当てはまるような気がする。
ちなみに、その教育データ利活用について考えたことは、京都大学大学院教育学研究科教育実践コラボレーション・センター監修、西岡加名恵・編「世界と日本の事例で考える学校教育×ICT」(明治図書)の中に、教育データ利活用の説明も含めて書いてます(最終校正をこの前出したので、もうすぐ…)。
おわりに
最初の記事だから、と気合を入れすぎて長くなってしまった。しかも、明日公開しようと思ってがんばると、毎日GPTをめぐる状況が目まぐるしく変わって、毎日書くことが増えてしまう。これでもだいぶ削った。
この研究blog、長く続けるためにももっと短い文章…というか報告が中心になると思います。末長くどうぞよろしくお願いします。
脚注
- 詳しくは、松尾研究室「AIの進化と日本の戦略」『第2回自民党AIの進化と実装に関するプロジェクトチーム』、2023/2/17、とか、黒橋 禎夫「ChatGPTの仕組みと社会へのインパクト」国立情報学研究所『第62回大学等におけるオンライン教育とデジタル変革に関するサイバーシンポジウム』, 2023/3/3、とかが専門家でない人にも分かりやすい。どちらのプレゼンも、GPT-4登場直前ではあることに注意はいるものの、GPTを知る上でとても貴重である。
- NHK「ChatGPT まるわかり “異次元” AIの衝撃」2023年4月11日。
- 毎日新聞「AI研究の巨匠 一問一答「教育や医療、環境分野への活用を」」(執筆:隅俊之 )、2023/4/4。より直接的なタイトルの記事もあるが、この一問一答の内容にほぼ重なる。
- 明示的には含まれないが、案外、論理的思考のうち半分くらいはAttentionなのじゃないかと個人的には疑っている。あくまで、根拠の薄い個人的な予想である。
- Ashish Vaswani et al. “Attention Is All You Need“, 2017.
- OpenAIの創始メンバーの1人が「AIをオープンにするという設立当初の理念は誤りだった」とまで言っている(Gigizine「OpenAIの共同設立者が「私たちは間違っていた」と語る、AIの危険性からデータをオープンにしない方針へと大転換」2023/3/17)。
- Forbes Japan「ビル・ゲイツ「AI開発の一時停止」に反発、効果を疑問視」(by Ana Faguy)、2023/4/5。
- Gigazine「「制御不能なAI開発競争」の一時停止を求める公開書簡に偽の署名者が多数まぎれていたことが判明、AI研究者からは書簡への反論が続出」、2023/3/31。
- 石田亨先生が、春の京都KRPで言われていた。
- NHK「「ChatGPT」開発企業アルトマンCEOの考えは 期待と懸念 規制には」2023/4/11。
- 日本経済新聞「日本は生成AI天国か 著作物「学び放題」に危機感も」(編集委員 瀬川奈都子)、2023/4/13。
コメント
“GPTと小中高の教育(2/2)” への1件のコメント
[…] 長くなったので記事を2つに分けています。後半は、GPTそのものの話に少しふれようと思う。 […]