子育てフルタイムが過半数の社会像を能動的に話すべき

子育てを始めて、「自分が育った時代と今では、子育てが全然違う」ことを痛感する。子育ては時間と手間だけでなくお金もべらぼうにかかる!が、最近ではそれでいいと感じている。

簡潔に言えば、フルタイム共働きで子育ては、収入も増えるが、支出も激しく、結果的に社会へ経済的に寄与できて、社会を良くできると感じるからだ。

私が育った時代(20c末)は、子育ては家中心&専業主婦過半数&大黒柱1人分の収入で節約しつつ育てる&共働きは収入不足補うパート、だったように思う。
今は、子育ては社会中心&2人分の収入でお金使いながら子育ての日々乗り切る&共働き多数派という家庭、しかも核家族は増えている気がする。

誤解のないように書くと、「お金使いながら子育ての日々乗り切る」の実態は、たとえば子供が病気なると1人あたり3万円くらい簡単に飛ぶ(医療費は格安でも、病児保育でフルタイム勤務を乗り切るため、登園可能になる3日間でこのくらいかかる)とか、夜中に子どもが思いがけぬ病気や怪我になると1万円軽く飛ぶ(思考停止して最速手段使わないと自分も倒れる)とか、若い頃のポリシーを曲げて自転車は電動&電子機器は便利機能付きにしないと身体持たないとか、土休日に精魂果ててる(原因は平日の仕事でなく土日の子育て)ので外食すると一品贅沢しちゃうとか。

その結果、収入に見合うのか?と思う出費の月もある(特に家庭内感染し続ける冬)が、1人暮らしの時より日本経済を大いに回してる実感がある。仮に今の20-40代が、20世紀末の20-40代より子育て共働きを倍やってれば、20-40代が2/3くらいになっても、社会は経済的に維持&発展できないかと期待する。

で、こういう話をあまり目にしないのは、子育て共働きがとにかく忙しすぎるからではないか。この記事も2年くらいは頭に浮かんでは消えていた。

もっとも、30年前と比べて子育て環境は格段に良くなってて、私は恩恵にあずかっている。惜しむらくは、男女雇用機会均等法ができた10年後には今の水準を整えるべきだったと思う。男性社会を変える程度の話が中心(未だに…かな)で、共働きフルタイムの社会像を能動的に議論しなかったのは、社会の怠慢でなかったか。人口減少が明らかになってバブルのお金があった頃も、成り行き任せで社会的な議論が明らかに不足した日本は、間に合うだろうか…

それと、うちは2人だが、1人→2人になるだけで、子育て負担のレベルが大きく上がった。3人目もいるとさらに大きく増え、核家族でやってく(家で、親が子供より少ない!)なら、もう1つ上の次元の子育てサポートが社会にいる。お金じゃない。サポートのサービスが存在しないと、お金があってもムダ!!需要が増え、そのサービスが社会に普通に存在する事が必要。

以上、探究で高校生に未来の社会像を考えてもらう授業をしているので言語化してみました。研究者の立場がゆえの言いたい事は他にもあるが、このあたりにしたいと思う。


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探究, 教育

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